まだまだ暑い日が続きますが、8月の終わりに2連休が取れたので、キャンプツーリングに行ってきました。今回の目的地は本州最南端、和歌山県の潮岬と高野龍神スカイライン。本来ならば先月のツーリングの予定に入れていたのですが、あまりの暑さに断念。先月より少しは暑さもマシになったのですが、全行程800km、久々のロングツーリングになり、予想外のハプニングも起こったりもしましたが、無事に帰ってくる事が出来ました。
8月29日、快晴。朝9時の時点でも、日陰にいればそれほど暑くもない。お盆休みを過ぎてから、朝晩はだいぶ過ごしやすくなってきた。今回のツーリングの目的地は和歌山県の最南端の潮岬。今まで何度も行ったことのあるおすすめのスポットで、今回は4年ぶりとなる。名古屋からはけっこう距離があり、以前は下道で片道8時間くらいかけて行ったのだが、伊勢と尾鷲をつなぐ紀勢自動車道が延長されて、アクセスがだいぶ楽になった。今回は高速道路をフル活用して、以前よりかなり時間に余裕ができたツーリングとなった。
9時前に出発して通勤割引の時間帯に名二環に入る。伊勢湾岸、東名阪、伊勢自動車道を通り、紀勢自動車道に入る。まだ工事中で、途中の紀勢大内山ICまでしか開通していないが、いずれは尾鷲、またさらにその先に延びて、最終的には阪和自動車道とつながり、紀伊半島を一周できるのではないだろうか。和歌山は地図上で見ると名古屋からそれほどの距離はないのだが、実際は海岸線沿いの国道42号か、奈良からまっすぐ南に下る道しかないので、高速道路が開通したらかなり便利になるだろう。
9時前に出発して通勤割引の時間帯に名二環に入る。伊勢湾岸、東名阪、伊勢自動車道を通り、紀勢自動車道に入る。まだ工事中で、途中の紀勢大内山ICまでしか開通していないが、いずれは尾鷲、またさらにその先に延びて、最終的には阪和自動車道とつながり、紀伊半島を一周できるのではないだろうか。和歌山は地図上で見ると名古屋からそれほどの距離はないのだが、実際は海岸線沿いの国道42号か、奈良からまっすぐ南に下る道しかないので、高速道路が開通したらかなり便利になるだろう。
紀勢自動車道の終点、紀勢大内山ICを降り、あとは海岸線沿いの国道42号をまっすぐ進むだけ。だが、まだ130kmくらいある。お盆前に比べれば暑さはだいぶ楽になったとはいえ、炎天下の中を走るのはきつい。4年前に行ったときもちょうど8月の終わりだったが、帰りに熱中症で倒れかけた事を思い出す。無理をせず、適度に休憩を入れながら走る。
御浜、新宮、那智勝浦を通り、本州最南端の串本町に到着。ここから最南端の潮岬のキャンプ場まではあと少し。日没まではまだ時間があったので、串本沖の紀伊大島に向かう。本州とつながるループ橋、くしもと大橋を通り陸路で行けるこの島には、串本町と友好関係にあるトルコの記念館がある。今から120年ほど前の明治時代、トルコの軍艦が串本沖で座礁して遭難したとき、地元の串本の人たちが救助にあたり、多くのトルコ人の命を救ってから、日本とトルコの友好関係が続いているという。中近東諸国の中でも特に親日家が多いと言われるトルコ人は、誰もがこの話を知っているという。
実はこのエピソードには後日談がある。日本とトルコが友好関係を築いてから100年あまり経った1985年、イラン・イラク戦争の真っただ中、当時のイラクのフセイン大統領がイラクの上空を飛ぶ航空機は民間機も含めて無差別に攻撃すると発言して近隣諸国はパニックとなった。当時、イランの首都、テヘランには200人以上の日本人がおり、日本政府は日本人の救出に向かった。だが当時は自衛隊の海外派遣がまだ認められておらず、民間機による救出しか方法が無かったのだが、戦争が起こっている国の首都へなど、どこの航空会社も行ってはくれなかった。そんな中、日本人の救出に向かってくれたのがトルコ航空だった。いつ攻撃されてもおかしくない危険な中、トルコ航空のパイロットと客室乗務員は無事に日本人を救い出してくれた。100年前に日本人に受けた恩を返す為に勇敢に行動したトルコの人たちには、後に日本政府から勲章を授与されたという。
紀伊大島を出て、潮岬の最南端にある望楼の芝生キャンプ場に向かう。太平洋を見渡せる広大な芝生のこのキャンプ場は、GWと夏休み期間中以外はなんと無料で利用できる。夏の終わりなので人もそんなに多くない。好きな場所にテントを張り、串本町まで買い出しに戻る。キャンプ場の周りにはほとんど施設は無いが、バイクで10分ほどで戻れる串本町には温泉や24時間営業のスーパーもあり、ロケーションはすばらしい。