和歌山キャンプツーリング2019(その2)

ツーリング2日目の朝。日の出前に自然に目が覚めた。暑くも寒くもなくちょうどいい気温だ。テントから出ると、空にうっすら雲が出ているが、快晴だ。昨日は日が暮れてから到着してすぐに寝てしまったので、改めてキャンプ場を散策する。

この潮岬キャンプ場は太平洋に突き出た半島の先端にあるので、海から昇る朝日、海に沈む夕日を供にキャンプ場から見る事が出来る。時刻は6:00AMちょっと前。ちょうど朝日が昇るところを見ることができた。

 

この潮岬キャンプ場は、中心に「望楼の芝」と呼ばれる広大な芝生エリアがあるが、シーズンオフのこの時期は芝の養生の為、キャンプ禁止となっている。この時期はその周りの林の中が無料キャンプ場として開放されている。毎年1月の終わりに芝に火を放ち野焼きを行い芝を再生させ、夏のハイシーズンに芝生エリアを有料キャンプ場として開放する。夏のキャンプシーズンにはこの芝生がテントでいっぱいになるほど人が来るそうだ。

 

キャンプ場のすぐ前には、潮岬のシンボル、潮岬タワーもある。タワーの上から見る太平洋の景色は圧巻だ。また、ここ串本町には、世界で初めてマグロの完全養殖に成功した近畿大学の水産研究所があり、タワーの横の食堂ではここで養殖した近大マグロを食べることができる。

 

 

この潮岬に来たのは5年ぶりくらいだ。キャンプ場も芝の景色も5年前とまったく変わっていなかったが、ひとつだけ変わっていた所があった。潮岬タワーの1階に、

 

「エルトゥールル号記念館」

 

が出来ていた。

 

エルトゥールル号とは、明治時代にこの串本沖で嵐に遭い遭難したトルコの軍艦の名前だが、この遭難事故をきっかけにして、日本とトルコが友好を深めていくことになったのだ。

 

今から129年前の1890年(明治23年)、オスマン帝国(現在のトルコ)の使節団が皇帝の親書を持って、巡洋艦エルトゥールル号で来日した。当時からトルコと親交があった日本は使節団を国賓として扱い歓迎した。使節団は明治天皇に謁見して皇帝の親書を渡し、帰国の途についた。だが、折しも台風シーズンの9月、熊野灘を航行中に嵐に遭い、串本町・紀伊大島の沖で座礁、遭難をしてしまった。エルトゥールル号の乗組員、約650名が嵐の海に投げ出されたのだが、何名かは紀伊大島の海岸にたどり着くことができた。そこで、紀伊大島の島民は総出で救助にあたった。台風シーズンで漁に出れず、自分たちの食料も乏しかったのだが、食料を分け与えて懸命に救助をした。この事故は当時、日本中に報道され、全国から義援金も集まった。そして、無事に生き延びた乗組員69名を、日本の軍艦が無事にトルコまで送り届けたのだ。この話はトルコの小学校の歴史の教科書にも載り、トルコ人は誰でも知っているという。中東諸国の中でも特に親日家が多いと言われるトルコにはこういう歴史があった。

 

 

 

だが、この話にはまだ続きがあった。エルトゥールル号の遭難事故から95年後の1985年、中東ではイラン・イラク戦争が激しさを増していた。そんな中、当時のイラクのフセイン大統領が「今から48時間後にイラク上空を飛ぶ航空機は軍用機、民間機問わずに攻撃をする」という声明を出して近隣諸国はパニックとなった。当時、イランの首都テヘランには日本人の駐在員とその家族、200名以上の日本人が滞在しており、日本政府は日本人の救出に動いた。だが当時はまだ自衛隊の海外派遣が認めれれておらず、民間の航空機で救出するしか方法が無かった。だが、戦争が起きている危険な国へなどに日本の航空会社は飛行機を出してくれなかった。外国の航空会社も、自国民を救出するのが手一杯で、とても日本人を乗せる余裕など無かった。そのとき、日本人の救出の為に動いてくれたのがトルコ航空だった。100年前に日本人から受けた恩を返すために、危険を顧みずに行動してくれたのだった。しかもこのとき、日本人救出の為に協力してくれたのはトルコ航空の人たちだけではなかった。当時、イランにはトルコ人も多く住んでおり、皆、脱出の為に空港に集まっていたのだが、空港で困っている日本人を見て、自分たちが乗るはずだった飛行機を日本人に譲ってくれたのだった。そして自分たちは危険な陸路で時間をかけてイランを脱出したのだった。そしてフセイン大統領が指示した攻撃のタイムリミットのギリギリ1時間前に、無事に飛行機で脱出することができた。この話は当時の日本ではほとんど報道されなかったのだが、近年、さまざまなメディアが取り上げて知られるようになった。2015年にはこの史実を元にした日本・トルコの合作映画「海難1890」も公開されて話題となった。

 

ここ串本はそんな歴史のある場所だった。

 

キャンプ場に戻り、簡単な朝食を済ませてテントを撤収する。夕べから干しておいたレインウェアも完全に乾いている。今日は雨の心配は無いだろう。荷物をバイクに積んでキャンプ場を後にした。

 

今いる場所は和歌山県の最南端。今日はこれから時計回りに西へ向かう。最初の目的地は人気の温泉地、南紀白浜温泉だ。

 

昨日走った潮岬の半島の反対側に向かい、左手に海を見ながら海岸線を走る。天気は快晴だ。国道42号線を2時間ほど走り、最初の目的地、白浜温泉「崎の湯」に到着。

 

白浜温泉「崎の湯」は、海に面した露天風呂で、ここ白浜温泉でもっとも歴史のある温泉だ。日本書紀に当時の歴代の天皇も訪れた記録もある温泉だ。料金は¥500。海を見ながら入る解放感はあるが、男湯の方はちょっと離れた高層マンションから丸見えだった。

 

温泉を出たらちょうどお昼どき。近くにある「南紀白浜・とれとれ市場」に向かう。ここは観光客向けの魚屋、おみやげ屋、食堂が入った巨大な施設だ。近くにパンダで有名な動物園、アドベンチャーワールドや南紀白浜空港もあり、平日でも観賑わっている。特にインバウンドの海外の観光客が多い。

 

 

ここの食堂も、前日に行った尾鷲の食堂のように好きな料理の小皿を自由に選べる。2日連続で普段なかなか食べられない海鮮を堪能した。

 

食事も終わり、ここから先は和歌山の内陸部、東へ向かう。今日の目的地は川湯温泉のキャンプ場「川湯野営場 木魂の里」だ。和歌山の内陸部の由緒ある神社「熊野本宮大社」の近くにある熊野本宮温泉郷。湯の峰温泉、渡瀬温泉、川湯温泉の中にあるキャンプ場だ。

 

 

この川湯温泉は、中心に流れる大塔川の川の底から温泉が湧き出しているという非常に珍しい所だ。冬季(12月から2月くらい)は重機で川の中心を囲い、「仙人風呂」として無料で開放もしている。文字通り1000人入れる巨大な露天風呂が名物となっている。今の時期は観光客が水着で川の中に入り、好きな所を掘って温泉を楽しんでいる。

午後3時過ぎにはキャンプ場に到着することができた。昨日はバタバタしていたが、今日は早い時間からゆっくりキャンプを楽しめる。このキャンプ場は有料だが、バイク1台と大人ひとりで¥1.000と非常に良心的な価格だ。トイレ、炊事場も綺麗に整備されている。この時間でも先客は何組か居た。バイク1台に車が3台。このキャンプ場でも好きな場所にテントを張ることができた。

 

テントの設営も終わり、キャンプの準備もできたのだが、日没まではまだ時間はある。ここからバイクで15分ほどのところにある「熊野本宮大社」に向かう。

 

世界遺産・熊野古道、紀伊山地の霊場の中心にあるこの熊野本宮大社、日本サッカー協会のシンボルマークである3本足のカラス、八咫烏(ヤタガラス)を祭っていることでも有名だ。

長い石段を登り、本殿でお参りをする。夕方でもけっこう観光客が多い。特に外国人観光客の姿が目立つ。さっき川の中の温泉に入っていたのもみんな外国人だった。日本人が見ても珍しいものなので、外国人はさらに珍しく感じているのだろう。

 

ここ熊野本宮大社では、漫画家・荒木飛呂彦先生デザインのお守り「和の守」を手に入れることができる。お守りのデザインはここ熊野古道と、スペインの巡礼道、サンティアゴ・デ・コンポステーラをイメージしている。どちらも「道」が世界遺産として登録されている世界でも珍しいところだ。そして3本足の鳥、ヤタガラスをイメージしたデザインとなっている。荒木先生はプライベートでここ熊野本宮大社を何度も訪れており、その縁でこのお守りのデザインを快諾したそうだ。貴重なお守りをゲット!

熊野本宮のお参りの後、ここからバイクで10分くらいにある温泉地「湯の峰温泉」に向かう。ここも、開湯から1800年以上も経つ歴史ある温泉だ。公衆浴場で汗を流して、温泉街の中心にある「湯筒」に向かう。ここは90℃以上の源泉が湧き出すスポットが木の枠で囲われており、温泉卵を作ったり、野菜を茹でたりと誰でも無料で使うことができる。近くの商店には生卵も売っており、観光客も温泉卵を作ることができる。夕食用の温泉卵を作り、キャンプ場に戻った。

 

キャンプ場に戻り、夕食を済ませてハンモックで横になる。山の中で標高も高いので、昨日の潮岬キャンプ場と比べるとかなり涼しい。・・・て言うか寒い!

 

焚き火の火で温まり、テントに潜り込んだ。2日目も無事に終了した。

 

つづく

 

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